「もう今年からこの家に帰ってこないでください」
寒さでかじかんだ指先で両親からの手紙を開けると、冒頭にはそう書いてあった。そう書かれても俺は理不尽とも冷たい親だとも思わないのは、時代のせいかもしれない。
夜勤明けの早朝。こたつを出すのは早いかもしれないが暖房を入れるのも負けた気分になる。薄ら寒いアパートの一室で俺はため息をついた。手紙と一緒に投函されていたチラシの束をゴミ箱に突っ込んだ。そんなことをしても憂さは晴れない。俺が実家にかんとうされたという事実は変わらない。俺はちゃぶ台に手紙を置き頭を抱えた。低くつぶやく。
「まさか俺がゲイだってことバレてたなんて」
俺の両親は石川県でのどかに暮らしていた。そして俺は大学が愛知県名古屋市だったので、卒業したあともそのまま名古屋に住み続けている。俺は今年で三十八歳。個人タクシーの運転手だ。
俺は大学入学を機に実家を離れて以来、盆と正月に帰る程度の関わりをしていた。父親と母親と俺と妹。どこにでもいる平凡な核家族だ。
しかし俺はいつの頃からか――俺が女性を愛せないと自覚したときから家族を避けるようになった。高校生くらいの頃だっけな。だから大学は県外に行こうと決めたんだ。
家族から自由になりたかったかもしれないな。日本の家族という制度は少なくとも俺のような同性愛者には合ってないから。俺は一人で慎ましく歳を重ねていきたい。
そんな隠遁生活を十数年してきたわけだが、ついに俺がゲイだとバレた。俺と同じく名古屋市に住んでいる妹がとある夜に、俺が男性とそういうホテルに入っていくのを見たという。
それで「もう家に帰ってくるな」というわけだ。無理もない。俺の家は田舎特有の昔気質な家だから、同性愛なんてポルノビデオの世界なんだろうな。
それに息子に長いこと隠し事をされていたこともショックだったかもしれない。そればかりはごめん、父さん。あんたは秘密を託せる人じゃなかったんだ。
柱にかかっているカレンダーに目をやる。十二月はすぐそこだ。
「今年は一人で年越しか……」
あれほど避けていた家族でも、いざかんとうされると寂しいだか腹が立つだかわからない感情になる。これまで育ててくれたのは、愛してくれたのは、嘘だったのだろうか。これまで過ごした時間や親子の絆をかなぐり捨てるほど俺は醜い存在なのだろうか。
「……寝よ」
俺は長らく干していないせんべい布団に体を突っ込んだ。絶望に似た感情の俺を冷たい布団が包む。泣いてなんかいない。
「それは、大変な目に遭いましたね」
その日の仕事は休みにした。こういう都合がつくところが個人事業主のいいところだ。そして夜は行きつけのバーで話を聞いてもらった。バーの店長であるアラサーの男は煙草を片手に軽く目を閉じる。俺は苦笑混じりに続ける。
「うちの界隈、セクマイではよく聞く話ですけどね。実家にかんとうされるなんてことは。まさか自分もそうなるとは」
「そうですね。特にトランスジェンダーだと親にカミングアウトした瞬間に家を追い出されてホームレスになる確率が高いなんて言いますからね、海外の調査ですけど」
このバーは東海地方最大級のLGBT歓楽街・通称『女子大小路』にある。だからここでは自分のセクシャリティを隠さなくていい。こうして自分の大事なアイデンティティを受け止めてくれる場所があることをありがたく思う。
もちろん、バーで愚痴ったところで実家と復縁できるわけでも俺がヘテロになるわけでもない。解決に至らないことはわかっている。でも誰かに話したほうが軽くなる痛みがあると信じたい。
店長がカウンター越しで煙草の灰を落としながら言う。
「まあでも、無駄に争うよりかは良かったんじゃないですか」
「そうですね。親によっては「同性愛は病気」なんて言って矯正させる人もいますからね」
同性愛・性別違和はWHOによって病気でないと認められている。俺だって今さら女性を愛せるとも思えないし、断然男がいい。俺は頬杖をついて言った。
「話し合いにならなかったのも良かったかもしれません。俺たちにとってヘテロが持ちかける話し合いって、だいたい暴力ですから」
家族会議になったとて俺がヘテロになるかゲイをやめるかみたいな摩訶不思議な議論になっていただろう。だいたい、人のアイデンティティを持ち上げて議論にかけるなどやめてほしい。
――しかし話し合いにすらならなかったのも、また寂しい
俺は苦い表情でグラスに口をつけた。
重く沈黙が流れる午後八時のバー。客は俺一人。しかし、しばらくしてドアの開く音がした。カランコロンとドアチャイムが鳴り「ちーっす」と軽快な男の声が響く。
「マサキさん、いらっしゃい」
店長は煙草を灰皿に置いておしぼりの準備をする。俺も自然と入ってきたマサキという男を目で追った。
まず目につくのは、灰みの金髪を肩まで無造作に伸ばしたボサボサヘアだ。まるでモップをかぶっているかのようである。そして目が覚めるような真っ青なジャージを着ていた。学生時代のダサい芋ジャージだろうか。おおよそバーに来る格好ではない。
――あんまり近づきたくないな
という俺の思いも虚しく、マサキはドカッと俺の隣に座った。金髪が薄明かりに照らされているが、伸ばした髪で目元が隠れて見えない。アホ毛がピョコピョコ暴れ回っているのはよく見える。
「マスター、コーラちょうだい」
あどけない、悩みのなさそうな声色でオーダーするマサキ。そのノーテンキな、俺とは対照的な様子にため息が出た。
マサキはそのため息を聞き逃さなかった。
「なんかあったんすか、お兄さん。話聞くっすよ」
俺の目を覗き込むようにして尋ねるマサキ。いらぬお節介だ。と思っている間に、店長がグラスにコーラを注ぎながら答える。
「隠し事がバレて、実家をかんとうされたんだと」
「それは大変っす!」
マサキは大仰に驚いた。俺がその様子に驚くくらい驚いていた。
「大丈夫っすか? 住む場所はあるっすか? 食べるものは? お世話してくれる人は?」
「俺は大丈夫です。もう成人して何年か経ってますから……大丈夫ですってば」
俺の両手を握って心配そうに詰め寄るマサキに俺は若干迷惑に思いながら言葉をこぼす。普段、車のハンドルしか握らない俺だからこうやって人に手を握られると少し照れる。マサキの手は柔らかくて華奢で少し青白い。
「ダイジョウブ詐欺はやめるっす! 俺は脅迫しているわけじゃないっす。あなたの気持ちが聞きたいっす」
俺がダイジョウブと言えば言うほど白熱していくマサキ。店長が静かにコーラを置いたが気がついてない。俺も耐えられなくなって言い返す。
「そういうあんたはダイジョウブなのかよ。そんな身なりで。まさかネカフェでワープア生活ってことはないよな?」
「え、なんでわかったんすか?」
「は?」と俺が拍子抜けしている間にマサキは矢継ぎ早に自分の状況を説明した。
「俺は住み込みの仕事を長いことしていたんすけどミスがバレてクビになったんす! だから住まいと職を同時に失って貯金を切り崩しているんす!」
さらに無職だから賃貸の審査も通らず、もう四十歳だから再就職は難しく、為す術がないと続けた。
俺は呆れてマサキに尋ねる。
「お前、人の心配している場合か?」
「それはそれ、俺は俺っす。俺は俺でなんとかする。でもあなたが困っているのは別件っすよね」
「俺は困ってなんかいない。ただ、少し……」
寂しいだけだ。
言葉尻を濁す俺をニンマリと見つめるマサキ。
「それならいい方法があるっす」
無精髭が生えた自分のあごをさすりながらマサキは提案した。
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